うつわ屋のつぶやき

うつわ好きの甘庵が、やきもの・吹きガラス・漆器などの、四季折々の身近な和食器を使う楽しさをお伝えします。荻窪銀花で催される企画展の器をご紹介し、使い方から、作り方、作り手のことなど、毎日お伝えします。

頭に「新」が付く・・・

四月は新しい年度へ切り替えの月ですね。
新入生、新学期と、はじめて家の外で迎えた新しい生活が、
だれでもこの4月に始まった記憶をもっています。
(欧米は9月なんですよね)
新社会人もまで、このスタート時期は続くのでしょう。

どこの街でも、まぶしいランドセルや制服や、
新しいスーツ姿を見かけます。

さて、工芸、ものつくりで頭に「新」が付くのはなんだろう?
うーん。
それこそ、新弟子という言葉ぐらいしか、
今は、思い浮かびませんね。
それも、殆ど死語のになりつつあって、
新人や新しく入った人ですまされているでしょう。

人に関わることでなくても、
新製品、新鋭、新型、新柄・・・・と、
製造や物販なら使いそうな言葉も、
ものつくりをしていながら、
案外使わないかもしれませんね。
それは、きっと手で作り出すものだからなのでしょう。

おおかたの作り手が、
年を重ねるごとに、経験を重ねるごとに、
結果を表していることでしょう。
新しい工夫や、研究や、試みは、
今までの成果を重ねて行くことが多いために常に試みています。
ただ、表面的には、せいぜいマイナーチェンジ程度の変化に見えるでしょう。

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時により、作り手としては、
求めている理想や結果が見えてていて、
それに近づけるための、改良であったり、
あるいは、同じ調子を保つための、
新改良は新工夫は常々のことです。
よしとするところを保つために、
新の付く仕事をします。

たとえば、やきもので食器を作り続ける時には、

土の質感肌合いを引き出すための、新しい焼き方。
釉調をより品格を持たせるための、新しい調合。
手に入らなくなった材料のための、新しい工夫。
こんな風に、常に、使い安く、よりよい器をための、
作る新しい試みを常にしています。

しかも、やきものなどは、杯土(粘土や磁土)や灰などの、
自然素材で、工業製品のように安定しません。
また、採土して粘土にしたり、燃やして灰にしたり、調合して赤絵具にしたり、
手業からつくられる場合は、
その殆どが高齢者の手によって作られていて、
天然素材だからこそ、揺らぐ成分や変化する調子を、
経験を技量で整える技で出来ていたために、
引退したり、亡くなってしまうと、
同じような味わいの生み出す材料は手に入らなくなるようです。

高齢化が進んでいくぼくたちのこの国では、
老いたときの生き甲斐のためにも、
たとえば、工芸などに関わる、見えにくい仕事へ関わる人への、
理解が広がると嬉しいですが、
そこは、経済がかかかわるわけで、
その部分は、そうべらぼうな数字ではないのですが、
工芸や手仕事への理解の幅から・・・、
その数字を価値あるものと見なさないために、
あるいは、「高い」と判断するのは、
量産品や型ものなどと、同じ土俵で比べられてしまうからでしょう。
量産品や型ものを否定しているのはなく、
用途や使われ方は同じでも、
違う土俵のものなのですから。

かつて、世界有数の手巻き時計を、作り出していた日本ですが、
クオーツに変わり、技術力で正確で廉価な時計で、
世界中を制覇した感があったのですが・・・・。
今、ちょっと豊かな証として、
機械式時計を手に入れようとしています。
一時期瀕死の状況だった、スイスの時計産業は盛り上がり、
いわゆる人気ブランドとなっていますね。
カメラもしかりでしょう。

伝統や技術は、それを継続するためにこそ、
常に、新しい技術や、工夫や、考えや、対応が必要です。

ぼくら一人一人が、頭に「新」が付く・・・意味を、
かみ砕き、見直す時期に・・・・、
最後のチャンスが差し迫っている気がします。

              甘庵

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オタクの店とカルトの店

ちょっとこのところ、重いお話が多くて・・・。
いや、くどい話ですね。
ちょっと反省しています。
器が好きで、荻窪銀花や工芸店で、
手仕事の器をご自分の好みで選んで、
楽しく使われている方には、きっといまさら・・・・と、
思うことが多かったかもしれませんね。

でも、書籍やWEB上で見かけることが急に多くなった、
陶器は扱いに気をつけること、はじめに煮ること。
という話に、違和感を感じ、
本にあれば、そのまま受け取られてしまうわけで、
ますます、手仕事のやきものが特別扱いの世界になりそうです。
くわばらくわばら。

さて、さてと・・・・。
銀花と通りを挟んで目の前に、
昨年の秋から、珍しいお店が開店しました。
ぼくなどの門外漢からは、一口にいうとおもちゃ屋さんに見えます。
実は目の前でよく見えるのですが入ったことありません。
銀花は11時からの開店です。
(でも、だいたい9時過ぎから10時ぐらいには来ていますけどね)
TERRAさん(篆刻調のお店の看板にはそうあります)は、
だいたい午後になって・・・そう、小学生が学校から帰る頃から開きます。

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フィギア、おもちゃ、U.S.TOY、雑貨・・・色々楽しいおもちゃあります。
とあって、それこそ電車男さん以来認知度のあがった、
秋葉系に通じる物があるようです。
午後の小学生のあと、7時で銀花が店じまいのころには若い人が多くなり、
休みの日などは、若い男女のカップルや子連れのパパママも。

オタクというちょっと、遠くの人たちだった言葉が、
今や普通の暮らしの範囲に取り込まれているようです。
むしろ、荻窪銀花のほうが、オタク・・・・いいえ、
うーん、カルトって感じのようで・・・・。
「あの人ったら、工芸屋にいっているのよ」とはならないとは思うけど、
もっと、若い人にも認知してもらって、
気軽に入って来てくださるように、
せいぜいブログを軽めに、書くようにしようーっと。
それに、若年性認知症的にならないようにしよーっと。

                甘庵

藤田語録 その2 「それでも・・・ぼくが五十歩」

藤田語録は面白くて、ためにな・・・ならないけど、
やきもの以外の武勇伝など多数あるのですが、
公的な場所での公表は、個人情報保護法 にも関わるので、
控えざるを得ないのが残念です。うふふ。
が、しかし、賢く、想像力たくましい読者の皆様を想定して、
書いてみますので、そのあたりは、うーんとたくさん拡大解釈、
もう、なかば妄想癖ぐらいで読みくだして頂けると、
面白いかもしれません。

さて、前置きはこのぐらいにして。
「五十歩百歩」という孟子の故事があります。
陶芸家F氏と陶芸家M氏の工房外活動における、
共同戦線において、互いの主導権もしくはリーダー的存在を、
懇意のお二人は互いに譲りあわれます。
F氏は「Mがどうしてもというので」
M氏は「Fが好むので・・・」と、
互いのきっかけや言い出しっぺを譲り合う姿は、
睦まじいほどの仲の良さです。
客観的に聞かせたいたぼくが、
「あのねーそういうのを五十歩百歩というんだよ」
F氏いわく「それでもぼくが五十歩です」と。

作り手の藤田佳三さんを紹介してくれたのは、
同じく作り手の光藤佐さんです。
お二人はそれぞれの仕事を認め合い、
また同じような手法で“うつわ”を作っていますが、
年を重ねる毎に、個性がそれぞれにのびてきて、
それぞれに魅力的になってきています。
そんな二人の個性の違いのお話しをさせて頂きます。

順序からM氏・・ではなく光藤さんから。
15年、それ以上前だったかもしれません。
光藤さんが、数点の作品をもって店を尋ねておいでになりました。
まだ20代のボクトツとしていましたが、好青年でした。
一生懸命さが伝わってくる“うつわ”でした。
いくつかの思うところを勝手にお話しして、
また作品が出来たらみせてくださいね。
ということで、お帰りになりました。
それから一月ぐらい経ったときに、
作品ができたので見て欲しいというので、
では送ってくださいと伝えると・・・・来ました。
5−6箱の段ボール箱が。
ちょっと楽しみに開けてみると、
確かにお話しした“うつわ”を改良したものがでてきました。
おー、なかなかいいじゃん!
では次の箱・・・同じ“うつわ”がまたまた。
ではでは次の箱は・・・うぬ、やはり同じ“うつわ”がー。
もしかして・・・・かくして、同じ“うつわ”が130個。
うーん。
はじめは、ちょっとあきれるというか・・・・。
でも、改めて考えると、凄いパワー。
これはただ者ではないかも。
少なくても、変人=ぼくと同類。
いずれにしてもその心意気を買っておいて良かった。
今にいたり、懇意にさせて頂いてます。
来年も1月後半に個展があります。

さて、
F氏・・・いな、藤田氏はそんな光藤氏に紹介されて、
訪ねて来てくれました。
やはり、まだ20代の人柄のよさそうな好青年でした。
同じように“うつわ”を見せて頂きながらお話しを伺い、
当時ぼくも若かったのでしょう。
藤田さんによれば、言いたい放題だったらしく、
それでも、その言葉を真摯に受け止めてくれて、
その一月半後に、見本が出来ましたとの電話。
では送ってください。と、ぼく。
早々に大きめの段ボールが送られてきました。
楽しみに開けてみれば、こちらはな、なんと。
全部違う。
包み方は当時からきちんと規格されたように、
整然と大変わかりやすく包まれ詰め込んであります。
ちなみに光藤氏は・・・非常に自由奔放に・・・無作為に。
ははは。
ともかく、開けてみると、60個前後の汲み出しが、
手法が同じでも少しずつ変えたり、
口端や、腰や、高台などの形も違っていました。
同じ物は一つもありませんでした。
わかりやすく一つずつに通し番号がついていました。
そうくれば、ぼくも番号順に、一つずつにコメントを書いて、
いえ、当時から・・・生まれてこのかた悪筆だったので、
ワープロをつかって表にしたものを同封して返送いたしました。
この件では、未だにぼくのこの真面目な厚意をですよー、
藤田氏は訴えるんです。
「手書きではなく冷たいワープロで書かれた評で、
しかもその中には、”きらい”と一言だけのコメントの汲み出しがあって、
ぼくは大変傷ついた・・・」と。
そりゃー、そうでしょうけど・・・。
その60−数点=50以上の丁寧な評はどうなの!!
まぁーいいや。

このお二人の、ちょっとベクトルが違うのですが、
作るエネルギーや作陶への意欲は群を抜いていました。
この点においては「五十歩百歩」・・・・ではないですね。
「65個130個」でしたね。
良い意味での「五十歩百歩」でしたが、
先日の宴でもまたその話が出たときに、
光藤さんの130個を大笑いしていたので、
藤田さんだって60個といったら、
「でもぼくは60個・・・」と、
純米酒「瑞雲」に舌鼓をうちながら、のたまう藤田氏でした。

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 閑庵
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