うつわ屋のつぶやき

うつわ好きの甘庵が、やきもの・吹きガラス・漆器などの、四季折々の身近な和食器を使う楽しさをお伝えします。荻窪銀花で催される企画展の器をご紹介し、使い方から、作り方、作り手のことなど、毎日お伝えします。

作り手との出会い 1 荒川尚也さん

荒川尚也さんの個展は、今回で25回目になります。
あっという間でした。
無理を言いながら、毎年欠かさず続けくださっています。
ぼくにとって初めて納得いったガラスの作り手に会ったのが、
荒川さんでした。
互いに若かったなー。年齢的に・・・。
とはいえ、荒川さんの気持ちやテンションには、
ちっとも変わらず、いまだに大いに刺激を受けます。

ぼくはただ“うつわ”が好きというだけの新米の工芸屋。
荒川さんも工房を開設して間もない頃でしたが、
彼のガラスへの思いは、ぼくの気持ちにとても馴染み、
また沢山の事を教わりました。



「ガラスってやきものと違って、入れた物が見えるでしょ。
たとえば、ワイングラスにワインを注いで写真を撮るときに、
一番美しく見えるところまでワインを入れてとるでしょ。
でもね、食卓のワイングラスは、いつもその量のワインが入っているのではなく、
呑めば減っていくでしょ。
そのどのときでも、美しいと思えるワイングラスが、
減っていくの楽しめるタンブラーが作れたら・・・・」

衝撃でしたよ。
盛り映えのする“うつわ”や、
注がれてより美しくなるワイングラスは、
“うつわ作り”でも“うつわ屋”にでも、
目指す物でした。
でも、確かに中身の減っていくのがはっきり見えるグラスなら、
そこまで考えるべきなのかと・・・・。



そば猪口がはじめて出来たころにこんな事も言っていました。
「作っていてなんだけど、そば猪口はやはりやきものの方が、
ぼくはすきだだー。だって、そばつゆ入れて、薬味入れて、
かき回して、素麺やそばなりつけて食べだすと、
何かと残って、どんどんいろいろな物が見えてくる。
あれ苦手だなー」
うーん、この細かな好みは置いておいても、
作り手の感性としての細やかさには、
大変納得していまいました。

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もしかしたら、そんな事もあって、
泡のグラスが出来て来たのかもしれません。
泡が入ることで、食べかけの素麺は目立ちにくくなりました。
清流の流れを切り取ってような、清涼感あふれる泡のガラスは、
夏の“うつわ”として大変人気をはくして、
荒川さんの特徴と思われるくらいになりました。
その後も、タンブラーやワイングラスなどのカップ部分を、
泡を入れずに作る物があるのは、
素地の澄んだガラスの注がれた液体の減り具合を楽しむためではと、
ぼくは勝手に思っています。

前にも書いたと思うのですが、
荒川さんのガラスの一番の魅力は、
自ら調合している澄んだ素地です。
あの澄んだ素地だからこそ、
デザインされた泡が、
煌めいて美しく見ることができるのです。 
息を吹き込んで伸びて行く液体だったガラスの、
勢いと動きとを感じ取れるのだと、
ぼくは思っています。

         閑庵

吹きガラスの秘密

吹きガラスの魅力をより身近に感じて頂くために、
ガラスについてのお話しです。

坩堝(るつぼ:高温で溶けたガラスや金属の容器)の中で、
溶けた水飴状のガラスを、金属などの竿に巻き取って、
型に入れないで、息で膨らませ、形を作り出して行くガラスを、
「吹きガラス」と言います。

溶けたガラスが、固まってしまうまでの短い間に、
体で覚えた技と勘で、作り出して行く為に、沢山の同じ形を揃えるには不向きですが、
器一つ一つの表情や、勢いを楽しむのには最適の方法です。

さて、ここで吹きガラスの秘密をお教えします。
前にも少しかきましたが、改めて・・・。
吹きガラスが、丁度飴細工のように作り出せるのは、
どの種のガラスも、一定の熔融点
(ようゆうてん:固体から液体に変わる温度)
を持たないという、不思議な特性があるからなんです。

わかりにくいですね。
でも、難しくないですよ。
たとえば、ガラスの塊に熱を加えて行くと、
徐々に形がくずれていって、
最後にはドロドロの液体になってしまいます。
これを冷ましていくと徐々に粘り気が出て来て、
元のガラスの戻ってしまいます。
この徐々に粘り気が出て、固まるまでの間に、
息を吹き込んで膨らませたり、加工をしたりして、
形を固めてしまうのが「吹きガラス」です。

これはガラスが持つ特徴でこそ、出来ることなんですよ。

だってもし、水にも同じ特性があったなら・・・・?
寒い所でなら、水から氷に固まるときにストローに、
とろとろの水をつけて、「吹き氷」という、
もの凄く楽しそうな遊びが出来ることになります。

でも、水が氷に変わるときには霙からカキ氷状に、
そして氷に固まっていきます。
だから、残念ながら「吹き氷」は作れません。

技と勘を信じ、全身を使って作り出す「吹きガラス」には、
ガラスが無機化合物の素材であることを忘れさせるほどの、
温かみのある質感があります。

手に持ったグラスが、
熱く溶けた液体であったことを想像しながら、
出合いのあった「吹きガラス」で、
お気に入りのお酒や飲み物を戴くのは、
一段と格別な味わいなることでしょう。
ぜひとも、お試しくださいな。

               閑庵

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荒川尚也・ハンドモール鉢

やっぱりガラスの器は夏の器

夏になるとどうしても出番が多くなるのが、ガラスの器でしょう。
冷菜をより涼しげに演出する器として良く使われます。
アイスクリームやシャーベットや冷菓も、
当たり前のようにガラスの器に盛られます。

でもこれって、じつはとても日本的なガラスの器の使い方みたいですよ。

たとえば夏に、フランス料理のコースを食べたとして、
冷菜やアイスクリームなどのデザートなども、
やきものの器に盛り付けられていることが普通です。
きっと、私たちほどにはガラスの器に清涼感を感じないのでしょうか。
だから、ガラスを特別に夏の器として、
使おうとは思わないのでしょうね。

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ぼくらはガラスを夏の器と、ごく自然に感じてるけど、
これは、とても日本的な、器の選びのセンスみたいですよ。
ふたつのとても素敵なセンスです。

一つにはガラスの器に、夏の季節を割り当てたセンス。

二つ目に高温多湿の日本の夏を、ガラスの器で、
少しでも過ごしやすくしようとする工夫を、
粋に楽しむセンス。

この二つのセンスからガラスは、
夏の器の代表のようになりました。
 
夏の器として選ばれた一番の理由は、
ガラスの器だけが持つ透明感でしょう。
この透明感から水や氷を連想したり、
清涼感を感じるのも日本的な感覚なのでしょうね。

ガラスは高温で溶けて、ドロドロの液体から、
だんだんと粘性を増していって、
徐々に固まってしまう特性を活かして、作られます。

この液体から形作られるガラスの器に、
水や氷を感じるのは、いたって自然なことでしょう。

日本でガラスが、量産されるようになったのは、
明治の時代です。
まだまだ、庶民にとっては、贅沢だったとは思いますが、
それでもすぐに、かき氷用の器が出来ています。
水色や、ピンクや、色とりどりの、
アンティーク屋さんで見かけるあれです。

カップ部分の下にステム(脚)のある高坏(たかつき)型で、
作り出した職人の心意気が感じられる、堂々とした姿の器です。
冷たさが伝わりやすいので器全体につく水滴や、
中のシロップが透けて見える様子はいかにも涼しげで、
器も御馳走にしてしまうのが日本らしさですね。

器以外ですが、吹きガラスの風鈴も夏のものですね。
たとえ、なまぬるい微風でも、澄んだ音を楽しむことで、
涼やかな風を連想することに、すり替えてしまう。

日本の夏の暑さを乗り切ろうとする、
素晴らしい庶民のセンスと知恵だと思いませんか。

だって、壊れにくさなら、鋳物(いもの)の風鈴の方がずっと丈夫なのに、
はかないくらいの薄さに涼感を覚えて、ガラスの風鈴を選ぶところは、
いかにも日本的ですよ。

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今の私たちの住まいは、夏にはクーラーが効き、
冬には暖房で暖められています。
ずいぶんと、蒸し暑さも、寒さでも、楽に暮らせるすようになりました。
その分、季節感のない暮らしぶりになって来ているかもしれません。

旬がわからくなった、季節感の薄い食材を食べ、
身の回りの風景からも、季節感が減る一方の日本だからこそ、
暮らしの中では先人達の感性を引き継ぎ、新しい発想や工夫を、
取り入れたい物です。

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夏の器として、ガラスをもっと自由に楽しみましょう。 

荻窪「銀花」は金曜日から今度はガラス屋になります。
澄んだ素地の綺麗な荒川尚也さんの個展がはじまります。
そこでしばらくは、荒川さんの作品を含めてガラスのお話しを、
させていただきます。

      閑庵

角掛さんを囲んで

昨日は夕方から角掛さんを囲んで・・・。
銀花の場合は作り手を肴に(関西風ならアテ)して、
暑い日だったので、ビールを美味しくいただきました。

参加者はお客様を中心に、
同世代の陶芸家、版画家から、
角掛さんには母親ぐらいの年齢の方まで。
少人数ですから、くだけた感じの宴になしました。

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ギャラリーに作り手がいて、
お客さまと接する機会は、
やりとりを伺っていて、
それぞれの意見や思いが、
会話を通して近づいて、相互理解につながります。
おおよそ双方を知るぼくには、
ぼくとの対峙では伺いしれないことが滲んで、
なかなか、勉強になるのですが・・・・。
これが少々アルコールが入ることで、
会話の距離感が縮まり、
ますますおもしろみが増します。

角掛さんは陶芸家としてだけでなく、
営みとして“うつわ”作りをしている暮らし全体の話に及び、
たとえば昨日も出ましたが、
今のお住まいのお家賃がともかく破格。
今ぼくが荻窪で借りている駐車場料金で2件借りられる金額には、
全員が唖然。

おおよそ、物作りは良い環境に住んでいて・・・。
そう、あまり都市部ではないところということもあって、
住まいの広さも半端ではない・・・。
そういう方が多いですね。
うらやましかぎりです。

確かに、東京の物価指数の高さは、
世界一だそうですから・・・。
何とも。
その物価指数が仮に高くても、
それに見返る分の、
心の豊かさは・・・・どうなのでしょうね。
そのあたりが豊かなら、少し納得もするのですがね。
年老いて来たせいか・・・、
昔は良かったモードに拍車がかかっているのか、
小さな商いをして社会と接している程度でも、
平均的な心の豊かさは乏しくなっているのではと、
危惧してしまいます。

マナーや人を敬う気持ちが、
何か違う方向へ・・・。
敬語を使えなくても・・・人のこと言えないぼくですから、
いいとして、目上でも目下でもフレンドリーでも。
でも、他人を人として尊重する気構えが薄れているような。
それどころか、自分本位。自己中。
なんだか悲しくなってきます。

話をもどして、
距離感が縮まり、話の範囲も広がり、
だんだん複数の会話が、
同時に飛び交うようになってきました。
そうなると、少し距離をおいて、
全般を聞きたくなるぼく。
そんな中で角掛さんに改めて感じたこと。

きっちり、カチっとした作風から皆さんイメージしていた風貌とは
どうもギャップがあったようですね。
ぼくに見えた風貌は、柔らかなスタンスの穏やかな青年(35歳かな)。
もしかしたら、ロクロの前にいるより、
大好きなパチンコ台の前に座っていた方が、
自然って思わせちゃうようかもしれませんね。

話しぶりも、知ったかぶりしない。
庶民派を行ってる。
こだわってない・・風。
あまり考えずに作っている。
という、雰囲気を出していますが、
ご本人も本当にそう思っているのかもしれませんが、
一口にいって仕舞えば、淡々としていて、
控えめな性格なだけです。
逆に言えば、「プロとして当たり前の仕事してるだけです」
って思っているのでしょう。
その通りなのです。
角掛さんは、“うつわ”作りを仕事にしている、
普通の35歳の気持ちのよい青年なんです。

この普通には、心が貧しくなく、
マナーを心得、人を敬うゆとりがあると言う意味です。

ぼくには楽しい宴でした。
              閑庵

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裏をみせちゃいます

茶道で茶碗を拝見することが許されています。
それは、高台やいとじりと言われる、
茶碗の畳付きの部分は、作り手の技量や、
彫刻的な感性がよく見えるからです。

ロクロでも、タタラ作りでも、(注1)
全体やフォルムを作り出すときは、
膨らませたり、伸ばす仕事ですが、
高台周りの仕事は、逆に削り取り仕事です。
ちょうど、木彫や石彫の仕事ににています。
もちろん、木や石とは違いますが、
柔らかい、ねばる、ざくざく、もさもさ、
削るときの土の個性はそれぞれです。

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角掛さんの土への感性を見てみてください。
ほとんど釉薬で隠すもの、
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土がはっきり見えているもの、
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化粧土が見え隠れしているもの、
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削った後があるもの、
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釉薬と土が反応して金属のようにみえるもの、
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糸で切ったままのもの、
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窯の棚板について仕舞わないように、
貝で浮かせた貝のめあとが見えるもの、
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それぞれ変化はさまざまで、楽しめますよ。
これらは本来、お嫁に行ったときの、
オーナーの役得。
そうです、だから好きな“うつわ”を洗うのは、
結構楽しいことの一つなんですよ。
                閑庵
注1:タタラ作りというのは、粘土を板状にして、
   型で作り出したり、組み立てたりする仕事です。裏をみせちゃいます

作ることを楽しんでいる仕事

スタッキングのお話しの時に、
自由な形おもしろさを妨げずに、
食器として使いやすさから、
きちんと重なる“うつわ”を作り、
注ぐ器のお話しでも、
醤油差しや、片口や、急須などは、
それらの使用目的からの注ぐという制約に、
気持ちの良いくらいの切れ味で回答を見せてくれたと、
角掛さんの“うつわ”について評しました。
そして、角掛さんの
“うつわ”に共通して感じる魅力に、
形の楽しさやおもしろさがあります。

花器などは、花を入れるという目的があっても、
食器に比べると、より形を作る楽しみにあふれています。
長閑だったり、シャープだったり、斬新だったり、微笑ましかったり、
関心したりと、それらを見て感じ方はそれぞれでしょうが、
何より、作った角掛さんが、
楽しみながら、作りたいものを、自由に作った、伸びやかさを感じます。
シャープな小振りは花器からでも、
なんでこんなに長い物をと思う花器からでも、
不思議な造形の花器からでも、
なぜか、ゆったりした感触を受けるのは、
作ることを楽しんだ仕事だからと、
ぼくは思っています。
             閑庵

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値段も腕の内

“うつわ屋”として、
お客さまの声でいささか辛いのが、
価格についてのことです。
デフレ価格になれて100円ショップが日常になり、
それさえ競争がきびしいという状況では、
手仕事といえ、“うつわ”の価格の絶対値は、
安い物ではないのかもしれませんが・・・、
一方で、銀座や青山原宿にブランドビルが新展開して、
ブランド品は相変わらず売れたり、
高額な輸入車の多いことなど見るに付け、
うーん、ぼくは何かが違う気がします。

それらに比べれば、
“うつわ”として日常に使ってもらえたなら、
壊すことなければ半永久的に持ちます。
“うつわ”は原価消却年数の長さ以上に使えて、
年数や頻度で割れば、年あたり一回あたりの価格は、
決して高くなく、また心が豊かになるという利子付きで元がとれます。

とはいえ、
価格に対しての絶対値の壁があると思います。
橋渡しのぼくとしてここは、
壁を感じておられる皆様を、説得しないとね。

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一つの例を挙げて、
価格設定の基準をお見せしましょう。
個展中の角掛さんの径が29cm 高さ5.5cm の大きな平鉢があります。
和でも洋でもなんでも、使いやすいですよ。
この皿鉢この大きさで¥6800です。
ぼくはお買い得だと思っていますが、
型に流し込んだ“うつわ”を比べられると、
高いという印象だけなのでしょう。

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もう一つ、ここに湯呑みが2タイプあります。
底の丸い、ころんとしたものと(径8.5cm高さ6.5cm)、
底が平らな、そば猪口型(径8cm 高さ6.5cm)です。
価格はどちらも1600円です。
これ一つ作る行程として、
ロクロを挽いて形作り、下地の化粧土を掛けます。
良く乾かして素焼き(800℃前後で焼成)をします。
木の灰や石の粉を調合して作っておいた釉薬を施釉します。
(ラーメンスープの仕込みみたいなものですね)
一日以上かけて本焼きといわれる1250℃前後で焼成します。
(ピッツァよりははるかに高温ですし、大変ですよ)
火を止めても、冷却還元といい、窯のなかに生ガスを入れて、
蒸し焼きをして黒く窯変させています。
(真っ赤に窯に生ガス・・・考えると怖いですねー)
数日さまして、窯出して、高台などをヤスリで擦って整え、
洗い、壊れないように梱包してやっと発送。

大まかこんな行程でつくられれる湯呑みは、
一個1600円でも大変だと思うなー。
逆に、プロだから出来るんですよ。

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さて、先に話した平鉢(皿鉢)。
実は湯呑み作るよりもっとテクニックが色々必要。
とはいえ、プロなのですから、
決して大変などとは言いませんよ。
ぼくが勝手に言うだけ。
皿鉢は“うつわ”として使う頻度が高いし、
使っていただければ、楽しさや良さがわかって頂けると、
角掛さんも思っていて、また少しでも買いやすい値段をという思いから、
こんな価格設定になっていると思います。

というのは、窯の中にいれて焼くときを考えて頂ければ、
皿の面積分で、湯呑みなら9個は並びます。
つまり6800円<1600円×9=14400円
と考えれば、使いやすいようにと、
工夫や努力でこの皿の価格を6800円と決めたのだと思います。

こういう作り手の価格設定を、
ぼくは「値段も腕のうち」と言い放ちます。
   
              閑庵

収納のしやすい“うつわ”

食器は飾り物でなく、使って初めて,
“うつわ”の善し悪しがにじんで来ます。
盛り映えがすること、
気遣いなく使えること、
収納がしやすいこと。
日常使いの“うつわ”に必要条件だと思っています。

角掛さんの形のおもしろさや楽しさはお伝えしてきましたが、
そんな造形的な分、華やかにも使える“晴れのうつわ”ですが、
同時に、日常の使い安さをしっかり検討されています。
わかり安い点で「スタッキング」を取り上げてみます。

“うつわ好き”の食器棚はおおよそ満杯状態が多いものです。
そんな時に、皿や鉢など数枚同じ物が無駄なく重なるのは、
とても嬉しいことです。

格好は良いけど、それだけで、棚を独占していまう鉢などは、
いくつかあるだけで、食器棚の収納効率がとたんに下がります。
飾り棚として、造形を楽しむより、日々使う“お気に入りのうつわ”が、
決まったところに、すっと収まり、すっと出てくるのは、
忙しい日常には大変心地よい物です。
当然、その“うつわ”の使用頻度は高くなります。

重なりやすさ、スタッキングは、
使いやすい“うつわ”の重要な条件の一つです。

             閑庵


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汚れと侘びるは違う

“うつわ”は使ってこそ、その良さがわかるもの。
と声を大きく訴えるぼくですから、
陶器への理解を求めるときに、
過保護を訴えると感じてしまう書き物などをみると、
ちょっと抵抗を感じています。
そして、また敵を多く作ってしまう発言をしてしまいます。

使うことで”侘びて行く”様を美しいと感じ、
”寂びた”と喜んだ先人たちは、
決して焼き切っていない甘い焼きの“うつわ”を、
認めてはいなかったと思います。
しっかり焼き切った上で、土味の持つ柔らかさや美しさを、
失わずに焼く陶工の技を認め、その“うつわ”を大切に扱い、珍重しました。
しかし、使うという、基本をはずすことはしません。
丁寧に使うことで、変わる様を、
世紀の単位で考えていました。
それが骨董の世界の目利きなのでしょう。

それはさておき、
今ぼくらが目にする陶器で、
“うつわ”の変わる様を楽しむ代表に、「粉引き」があります。
ただ、一部の茶道具ではないのですから、
日常に使って問題があるような粉引きが多いのに、
いささか疑問を呈します。
じゃんじゃん、使って、自然に顔つきが良くなるのが、
本来の“うつわ”の姿です。

繰り返しますが、粉引きは変化を楽しむために手法の土物ですから、
使う前に、水や湯にくぐらすぐらいの優しさがあれば、
使うことで、極端に汚れれる事はありません。
焼き切った粉引きを選びましょう。

そんな日常使いの粉引きの一例を、
「焼き切った粉引き」で、
粉引きのお話しを「やきもの話ー粉引きー6月8日」でご紹介しています。
ぜひそちらも読んでください。
               閑庵

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焼き切った粉引き

昨日につづいて、角掛さんのチャームポイントを、
ご紹介してみます。
今日は粉引きの“うつわ”です。
ご承知のように、粉引きは使って行くことで、
変わっていく顔つきを楽しめる“うつわ”です。
作るときに、素地と釉薬の間に、
白い化粧土の層を作ることで、
その層に染みこんでいって侘びていくのが、
美しいと好まれました。
これは使うことで変わるのですから、
使う側は最低限の優しさで十分です。
過保護を要求されては、“うつわ”としては成り立ちません。
その意味で、良く焼ききっていなければなりません。

オーナーによって変わる様子が違うのは、
変わるのを待つと言うより、
染め上げて行くという気持ちでいてくださると、
一番良いのかもしれません。
ただ、それも使う前に水や湯をくぐらす程度で十分で、
後は個人の使い方の差が、
変化の差と言うことだけです。

つまり、良く焼ききった粉引きで、
それでも土味の柔らかさや味わいがでている焼き方が,
作り手の腕の見せ所です。

角掛さんの粉引きは、良く焼き切れたいて、
土の味わいも良く出ています。
今のぼくらの食卓にぴったりです。
多国籍に近いと言っていい料理を食べてしまうぼくらは、
和食、中華、フレンチ、イタリアン、無国籍・・・。
それらを各家庭流にバージョンアップしています。
(ぼくの場合は、無断改造ですが・・・)
そんな、日常の“うつわ”としての角掛さん粉引きは、
じゃんじゃん使っていってはじめて、
ずいぶん時間がたったころに、
粉引きが、良い具合のあなたの色合いに染まっているはずです。

                 閑庵

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わくわくどきどきはいつものこと

今日は・・・おっと日付が変わりました。
昨日水曜日は店がオフでしたが、
火曜日までの「籠展」を片づけて、
金曜日からの「角掛政志作陶展」の作品を、
受け取り、梱包を解くところまでしました。

お話ししたように、移り気のぼく。
荷をほどく毎に、
一人でにたついて、
一人でほくそえんで、
一人で感嘆の声を上げ、
お客様より一足先に作品に触れ、見る喜びを、
堪能していました。
それでも、後ろ髪引かれながら、
午後からは、籠を持って次の会場の都留市の”もえぎ”さんへ、
飾り付けに出かけてきました。

“うつわ屋”の喜びのなかの一つの、
ニューフェイスの“うつわ”を一つずつ手にとって、
“うつわ”が語る言葉を読み取り、
把握して整理していくことがあります。
全作品をいったん心に収めて、
レイアウトや、お客様への説明やアドバイスの、
構想やネタを仕込んでおきます。
これはうつわ好きの立場ですれば、
仕事というより、楽しみ以外のなにものでもありません。

そのネタを、明後日から少しずつブログでお話ししていく予定です。

今日はオフですし、
その割に働きましたので、
書き込みはこの辺でお許しねがいます。

             閑庵


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限定品と現品限り

籠展が今日までです。
アケビや山葡萄やクルミや根曲がり竹などで作られた籠が、
会期はじめには沢山あって隙間なく並べても並べきれずに、
落としたぐらいでは壊れないのを良いことに、
まさに山になっていました。
それもだいぶ、隙間も見えてきて、
やっと籠の編み目の違いが、
置いておいたままでも見えるところも出てきました。
同じ形でも編み目が違ったり、
形物、似たようなボリュームでも、
薄かったり厚みがあったり、
深い物から浅めの物。
買い物籠などは、手の形や付き方が違ったりと、
ほぼ一つずつ顔つきが違いました。

そんな中、荻窪「銀花」での12日間で、
お嫁に行った籠の顔つきが、幸い薄れていきます。
それでいいんです。
名前を「新胴張り細こだし編みザル渕中」などと、
読み上げると、姿形がちゃんと出てくるのですが、
そうしない限り、出てこない用にしています。

つまり、常にニュートラに戻るように心がけています。
““うつわ”や作品が素晴らしく良い出来のものなら、
かなりの時間を経ても記憶には残りますが、
記憶から引き出すようにしない限りは、
頭の中にはありません。
というのは、今回なども、明日は模様替え日になり、
まず籠を片づけて梱包、到着する次の企画展の角掛政志さんのやきものを、
梱包から解き(例の格闘技です)、整理検品し、飾り付けます。
今回の籠展はこの後、銀花がプロデュースさせていただいている、
山梨県都留市の”もえぎ”さん、
その後、宮城県加美郡加美町の”藍學舎”さんというギャラリーに、
移動、巡回します。
もちろんそれぞれの会場でもお見合いがあり、たくさんお嫁に行くはずです。
(それぞれの会場にお近くの方は、お出かけください)
でも、ぼくはもう”籠屋”から、“うつわ屋”にもどります。

角掛さんの作品の一番の理解者になるために、
いったん頭を白紙にさせます。
籠とは全く違うやきもので、
角掛さんの鋭く個性的な表情の“うつわ”たちの、
顔つきを一つずつ記憶して、その個性と特徴と魅力を理解し、
口うるさい橋渡し、お節介な仲人になるべく、
こうして日夜努力を重ねているのでーす。
ははは。
というか、浮気症なのかもしれませんね。
模様替え休みを含めて、
2週間置きに変わる企画展会場。
そのたび毎に、その時の企画展の作品が、
気持ちの中心になるのは、やっぱり浮気症なのかなー?

でも、常設のコーナー・・・も大切です。
こちらは天井近くまでの棚に、びっちり並んでいます。
ここは、ぼくが平和な心を取り戻す場所。
お気に入りのものばかりがドチャマンっとあるのですから、
和みパワー全開。
うーん、だから、営業危機感がなく、
何の裏付けもないのに、やたら明るく前向きでいられるなかな。
しかも、自分好みになっているのですから、
安心感や安定感まであるのは、
こりゃいかん。
そういえば、気に入りばかりの作品はいいけど、
それらが長く嫁に行かないのは、もっといかんいかん。
“うつわ”は使ってこその“うつわ”の命が息づく。
ここはひとつ、皆様是非、
うちのかわいい“うつわ”たちを、
嫁にもらってやってください。
もうそれは、べっぴん揃いですから。
お待ちしております。
ははは。

というわけで、金曜日からは、
晴れて“うつわ屋”復活です。
角掛さんの“うつわ”を飾りつけた暁には、
ブログでその魅力をご紹介する予定です。
よろしくお願いいたします。
       閑庵

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限定品と現品限り

ぼくの店が特別なのではなく、
手で作られたものは、
少なからず限定品です。
“うつわ”によって一つしかありません。

仕事の手法や目指す方向が、
均一に作くるシステムの“うつわ”もあります。
定番のグラスや磁器染め付けや椀などに、
ほぼ同じに見えるように作り続けている“うつわ”もあります。
(実は細かいマイナーチェンジが繰り返されていることが多い)
それでも、手仕事だからこその、
画一的でない揺らぎがあります。
そこが魅力と思って頂けると、
手仕事の“うつわ”をより楽しんでいただけます。
また、一人の仕事には限りがあるので、
自然と作られる数には限度があります。

材料や作り方から、
同じ物が出来ない“うつわ”も多くあります。
土物で原土を使ったり、窯の調子で、焼き上がりが変わったり、
絵の具のように調合した、色ガラスの微妙な色合いが違ったり、
縁があった原木から出来た、木目やゆがみだったりと、
一つずつ作られ、一つずつの縁で出来上がったものは、
個性的でやんちゃな表情だったりしても、
使い手との出会いという縁があったときに、
使い手の暮らしの中で、本当に生きてきます。

作り手が同じ物を作ろうとすれば、
自分の仕事ゆえ、似たものは出来るでしょう。
でも、似たものを作ろうとするためにエネルギーに費やされた分、
手慣れて、まとまった物はできても、
もともと一つであること由として作られた、
はじけたエネルギーは、そうそう、生み出すことはできません。

現品限りとは書きましたが、
いくつかあって、残りがこれだけという現品限りではなく、
元々それだけ、それ一つだけの“うつわ”は、
ちょうど、ぼくら一人一人の顔つきや個性と同じに、
大きくくくれば、人であり、男だったり女だったり・・・。
でも、なにがし某と、姓名のある一個人なのとおなじです。
それがグラスだったり、椀だったり、花器だったりしても、
それぞれが一つだけのグラスで、椀で、花器です。

だからこそ、“うつわ”は出会いの縁だと思います。
縁がなければ、そのものには二度と出会えないものです。
一度逃したと思ってもそれは縁がなかったため。
もっとぴったりくるものと縁があり、
手元に来るものだと思っています。

手で作られたものは、
限定品や現品限りです。
だからこそ、楽しみながら、お見合い気分で、
品定めと、出会いの縁を大切にしましょう。
ただし、縁は自分で作らないと、
いつまでも、出会いも縁はありません。

“うつわ屋”のぼくは、
橋渡し、あるいは仲人としてのお世話を、
口うるさく続けることにしましょう。

                 閑庵


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使わないとわからない、手で作られたものの魅力

【手で作られた器の魅力】
●手で作られた器は、使うことで心が豊かになれるはずです。

手で作られた器はなら、何でもOKと言うわけではなりませんが、
心配りの元にしっかりと作られた器なら、
暮らしの中で使うことで、心豊かになり、
一杯のお茶やご飯が、いつもよりきっと心地よいものに。

手で作っているので、型で作られた量産のものにくらべれば、
ちょっと値段は高めになってしまいます。
値段の違いを損と思うか、その分の元を取れるか、
ここが手で作られた器を受け入れられるかどうかの、
問題点です。
高めの値段の分、気にいって頻度が高く使えるなら、
使って飽きが来ないのなら、使って心地よいなら、
それはそんなに高くはないはず。

飾り物やよそ行きの器より、
まずは毎日使うものを、手になじみ心に自然なものを手に入れて、
たくさん使っていただけたなら、言葉でいろいろ言うより、
実に簡単にその良さを体験出来ると、思います。



【器はお饅頭といっしょ】
●量産されたものと、手で作られた物の違いはお饅頭に似てる。

手で作られた器と、量産の器との違いは、
量産の妙に日持ちするお饅頭と、
一つずつ手で作られたお饅頭の違いに、どこか似てます。
食べたときに栄養やカロリーだけなら、さほど変わらないのに、
味もさることながら、心の満足度がきっと違うと思います。

お饅頭も、食べた見なければ、その差はあまり感じられないはず。
器も使って見ないと、やっぱりわからないです。
お饅頭を選ぶときのように、器も自分の好みで選ぶはず。
使い出したから、うーん、何か違うと言うこともあるけど、
それも経験でまずなくなります。
選ぶときは、お見合いみたいなものですから、
ピィーンと来たり、じわっと来たり、ビリびりっと来るかも、
人それぞれですが、自分が使う器ですから、
自分の暮らしに合わせて、使う事を大前提で選べば、
まず間違いありません。

自分が食べるために饅頭を選ぶように、
自分が使う器を選びましょう。

【器は選びは気軽に】
●よそ行きでなく自分らしく使えるものを選びましょう

手で作られた器は、作り手たちの生活感から、生まれて来ています。
器はともかく使うのが一番その良さは分かります。
そのためにも、よそ行きの器ではなく、
毎日使う器を選びましょう。
気軽に使うためには、気軽に選べる器が一番。
暮らしの中で使われてこそ器は生きます。
そのためには、いつもの気軽に食べるメニューに合い、
気軽さから、色々使い回しが出来たり、
イメージが広がりやすい器を選びましょう。
きっと、身近な器になったときに、
手で作られた良さが、より楽しめて、作り手の人柄まで、
伝わって来るはずです。

【器との出会いも縁】
●二度と同じ出会いがないのが縁

器との出会いは、恋愛のように、
たまには失敗もあるかもしれません。
でも、受け取り方で、次は良い縁がきっとあるはず。
しっかりと選ぶことも大切ですが、
出会いは縁のもの、縁を信じて良い出会いを捕まえる、
そんな気合も欲しいものです。
そうでないと、いつまでたっても、
絵に描いた餅状態のまま。
器は手にとり、使わなければその良さの、
本当の所はわからないはず。
縁をのがさないように。
勇気を持って。
手に入れ暮らしのなかで、活かしてください。
【手で作られた器の魅力】
●手で作られた器は、使うことで心が豊かになれるはずです。

手で作られた器はなら、何でもOKと言うわけではなりませんが、
心配りの元にしっかりと作られた器なら、
暮らしの中で使うことで、心豊かになり、
一杯のお茶やご飯が、いつもよりきっと心地よいものに。

手で作っているので、型で作られた量産のものにくらべれば、
ちょっと値段は高めになってしまいます。
値段の違いを損と思うか、その分の元を取れるか、
ここが手で作られた器を受け入れられるかどうかの、
問題点です。
高めの値段の分、気にいって頻度が高く使えるなら、
使って飽きが来ないのなら、使って心地よいなら、
それはそんなに高くはないはず。

飾り物やよそ行きの器より、
まずは毎日使うものを、手になじみ心に自然なものを手に入れて、
たくさん使っていただけたなら、言葉でいろいろ言うより、
実に簡単にその良さを体験出来ると、思います。



【器はお饅頭といっしょ】
●量産されたものと、手で作られた物の違いはお饅頭に似てる。

手で作られた器と、量産の器との違いは、
量産の妙に日持ちするお饅頭と、
一つずつ手で作られたお饅頭の違いに、どこか似てます。
食べたときに栄養やカロリーだけなら、さほど変わらないのに、
味もさることながら、心の満足度がきっと違うと思います。

お饅頭も、食べた見なければ、その差はあまり感じられないはず。
器も使って見ないと、やっぱりわからないです。
お饅頭を選ぶときのように、器も自分の好みで選ぶはず。
使い出したから、うーん、何か違うと言うこともあるけど、
それも経験でまずなくなります。
選ぶときは、お見合いみたいなものですから、
ピィーンと来たり、じわっと来たり、ビリびりっと来るかも、
人それぞれですが、自分が使う器ですから、
自分の暮らしに合わせて、使う事を大前提で選べば、
まず間違いありません。

自分が食べるために饅頭を選ぶように、
自分が使う器を選びましょう。

【器は選びは気軽に】
●よそ行きでなく自分らしく使えるものを選びましょう

手で作られた器は、作り手たちの生活感から、生まれて来ています。
器はともかく使うのが一番その良さは分かります。
そのためにも、よそ行きの器ではなく、
毎日使う器を選びましょう。
気軽に使うためには、気軽に選べる器が一番。
暮らしの中で使われてこそ器は生きます。
そのためには、いつもの気軽に食べるメニューに合い、
気軽さから、色々使い回しが出来たり、
イメージが広がりやすい器を選びましょう。
きっと、身近な器になったときに、
手で作られた良さが、より楽しめて、作り手の人柄まで、
伝わって来るはずです。

【器との出会いも縁】
●二度と同じ出会いがないのが縁

器との出会いは、恋愛のように、
たまには失敗もあるかもしれません。
でも、受け取り方で、次は良い縁がきっとあるはず。
しっかりと選ぶことも大切ですが、
出会いは縁のもの、縁を信じて良い出会いを捕まえる、
そんな気合も欲しいものです。
そうでないと、いつまでたっても、
絵に描いた餅状態のまま。
器は手にとり、使わなければその良さの、
本当の所はわからないはず。
縁をのがさないように。
勇気を持って。
手に入れ暮らしのなかで、活かしてください。


と、色々書きましたが、
つまりは、納得していただいても読んで頂くだけでは、
絵に描いた餅
お気に入りの“うつわ”と出会い、
使って頂くことで、
100倍わかっていただけることでしょう。

               閑庵

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気持ちに手が ついていかない

と、よく言われてしまいます。
いいえ、ようは粗忽なんです。
たくさんの情報でもないに、
簡潔な文章にできる、文才がなく、
わかりやすくと思うため、
ますます、言葉を切り捨てられず。
結局長い文章になってしまいます。
こんなぼくのブログを、
みなさん良く読んで頂けると、
とても感謝です。

まぁー、結果として、
誤字脱字の多いこと・・・。
これでも、読み直してはいるのですが、
全く意味がないと思えるほどの頻度です。
しばらくして読み直したときに、
あまりの誤字脱字、「てにをは」の合わないこと。
これには、ただただみなさまの寛大さと、想像力に感謝です。

HPも、最近始めたこのブログも、
世界の誇れる日本の工芸が、
豊かになった日本なのに、
失われる姿や、弱くなりつつある現状を感じていて、
これに、寄る年波の憂いが重なりまして。
大好きな工芸をもっと多くの方に、
若い方に・・・・お伝えしたい。

いいえ、
長い歴史的では、常に新しい姿やテクニックが加わり、
新しい生活に合わせて、めんめんと伝わって来たように、
工芸屋、“うつわ屋”としては、
この先も、伝えて行く義務があるのではないかと、
そのための、発信をしないと・・・。
そんな気持ちで、工芸おバカが、おバカなりに、
お伝え出来ることをと、ぼくなりに書き込んでいます。
そのために、偏っていて一部か知らないぼくゆえ、
偏見に充ち満ちてはいる部分も多々あるとは思いますが、
それでも、伝えなくてはと、
高ぶる気持ちに指が付いていかずに・・・・。
皆さんの忍耐と想像力に助けられることになっております。

ブログに、はじめての書き込んだのが5月8日で、
気づけば、とうに一月を過ぎていました。
“うつわ屋”オヤジの熱い気持ちを、
これからも続けますので、
どうか、よろしくお願いいたします。

            閑庵

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常識ある変人

ばくは仕事以外で人と知り合ったときなどの、
自己アピールに、
「常識ある変人」と自分を表現しています。

“うつわ屋”を四半世紀営んでいます。
20年前と今ではイメージが違うようですが、
同じなのが、いずれにしても簡単な説明では、
実態をつかんでいただきにくいという点です。

確かに一般的ではないですものね。
店を構えて商いする点では、
個人商店にありがちは、
公私の区別なくだらだら働いたり、
すごくマイペースで暮らしたり、
拘束時間が長いだけに、ストレスたまらないようにと、
工夫が必要です。

これは、作り手のほとんどの方にも言えるようです。
9時5時の制約をすることもできますが、
してもしなくてもやることはやらないといけない。
期日や企画展イベントの前はどうしてもばたばたしがち。
自分のペースで出来るのと同時に、
自己責任も自覚しています。

また、物を作り出すには、個人の感性が反映します。
それがそのまま“うつわ”や作品の個性に繋がります。
つまり自分の切り売りっていう感じです。
そのために、意識無意識はあっても、
“うつわ屋”のオヤジからみると、
皆さんに自分らしくあろうと自分を磨こうと、暮らしています。
自分の個性を大切にすることは、
自然に、他人の個性も大切にすることにつながるようです。

そんな彼らはぼく以上に、
皆さん個性的ですが、同時に他人を尊重できて、
大変常識人でもあります。
というか、そういう作り手が、
“うつわ屋”から見て、
魅力的な“うつわ屋”や作品を提供してくれると、
思っています。

社会的な地位や肩書きが大変りっぱでも、
目を疑うような非常識人にお目にかかることがあります。
ニュースでも不思議で悲しい事件や、
怒りを覚える事が多くありますが、
その時に、個人としての顔がなかったり、
歪んでいたり、壊れている人がとても多いなーって、
常識ある変人の“うつわ屋”は思っております。

                閑庵

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暮らしの豊かさを 見直してみませんか

不況といわれながらも、飢えて死ぬことなどないぼくらの暮らしは
とても豊かなはずなのに、心まで豊かといえるかな?
とても悲しい事件なども、心の貧しさからと、思うのはぼくだけ?

ぼくは器屋だから、“うつわ”を通して社会と接点を持ち、
“うつわ”を通して社会に貢献しながらも糧を得る。
プロとして、まっとうな仕事をすれば、
あまりはずれないのではないかと、
なんとかがんばっています。

先ほどもおいでになったお客さまから、
同じ街の同業の店がまた閉じたと伺いました。
自分の目で確かめてはいませんが、
本当ならとても残念です。
商売だけのことなら、職種替えか閉店を早くした方が、
負債は大きくならないでしょう。

“うつわ”への頑固さとおなじくらいに、
商いの立ち振る舞いが不器用なぼくは、
いつも取り残されてしまいます。
それでも今日もブログに“うつわ屋”として伝えたいことを、
書き込みましょう。

世界中の多種多様で豊かな食材と料理が、いま私たちの食卓にあがります。
和食、中華、フレンチ、イタリアン、タイ、ヴェトナムと、
歴史上もかつてないほど多国籍の料理が、根付こうとしています。
同時に私たちの祖先は、長い歴史のなかで時間をかけて、
様々な器を発明し、輸入し、技術を手に入れてきました。
そんな私たちは世界に比類ない「器好きな」人種なのだと思います。
それは手仕事の職人が、豊富で優秀な国だったからではないでしょうか。
 しかし、残念ながらこの2~30年でも、非常に少なくなった職種が、
少なくありません。
近年まで、職人を尊敬し大切にして来た私たちなのですが、
今もそうだとは言えない現状だと思います。
豊になるごとに、私たちは機能的という錯覚から、
心の豊かさのバロメーターといってもよい、
手の仕事への理解や、見いだす目を無くしていったと、思っています。
 たとえば、ほとんどの人が「ムクの木がよい」と思いながら、
掃除のしやすさから、指し物の家具より合成樹脂のテーブルを、
鉋がけされた床板より、紙のように薄い木を樹脂コーティングした床材を選んでいます。
いくら手入れが楽でも、ステンレスの皿や椀だけでは味気ないでしょ。
よく出来ているからといって、型に流し込まれてプリントで出来上がった皿や、
プラスチックの素地に合成樹脂塗装の椀でいいと、思いたくありません。
多少面倒な手間も、生活する楽しさに置き換えられるなら、
手の仕事から作り出された器は、私たちに必ずそれ以上の、
心の豊かさを教えてくれるはずです。
少しずつですが、このブログで、
手で作られた器の、見方、魅力、選び方、買い方、使い方などをお知らせしながら、
私たちの暮らしを、ひとまわりゆとりのある楽しいものにする提案をしていきたいと思います。

               閑庵
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箸もマイ箸

マイボウルの話を友人に話したら、

『マイボウル持つ風習が世界の中でも珍しいだなんて
この私達の当たり前のことがねー 不思議』

と関心してくれながらも、さらに、

『韓国へ行って 食事に行った時に 金属の冷たい箸で
食事した なんだか味気なかったなー 重いし冷たいしで・・・』

という話がでてきました。
韓国はマイ箸とマイ匙を貴族はもっていたみたいですよ。
でも、これが面白いんだけど、どちらも金属が多いんですよね。
みなさん、当たり前に自分の箸を、家では使っていませんか?
実は箸も、自分の持つ習慣も珍しいんですよ。
でも、マイフォークや、マイナイフはあまりきかないでしょ。

つづいて、ぼくは友人にこんな話をしました。

「ものもの」の秋岡芳夫さんが、昔何かの雑誌に書かれていましたが、
日本人と韓国人の口に触れる物好感度ベスト3。
ちょっと、面白いんですよ。

日本でのベスト3は、

1.木=割り箸、箸や椀なども、実は中が木。
  漆器は好きな木を使いやすくするための、
  一番強い漆を塗ったということなんですよ。

2.陶磁器、ガラス。

3.金属 でもこれはしかたなしかな。
  だって、フォークやスプーン使うから。

これが韓国では、
1.金属 だから、箸も匙も、器だって・・・。
     あれは「いい感じ」って思って金属なんですよね。

2.陶磁器

3.木  だから、案外漆器が少ないんですかね。

となるそうですよ。
とても近い国なのに、不思議ですよね。
風土や習慣が違うせいかな。


その友だちさらにこ『日本ってさ なんで 自分のお箸があるのに 
ナイフやフォークは自分専用じゃないのかなー
ってこれ 我家だけかな?』

そうですよね。
これは、洋食器として導入されて、
同時に、習慣やマナーもついてきたからでしょうね。

ぼくの店でも、漆の器などにも優しい、
木の匙を置くようにしているのですが、
手で作るので、あえて一つずつもものがあり、
それをマイスプーンとしてお求めになる人が、
結構いらっしゃいますよ。
それから、ぼくもそうしましたが、子供用の匙も木を削りだし、
漆で仕上げた匙を選びました。
これも、口当たりが柔らかくていいですよね。

手で作り出す物だと、微妙に少しずつ違うから、
その点でも、自分の箸や匙にするのにも、
出会えることがあるのかもしれませんね。
マイ箸と、マイ匙に。

            閑庵

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普段使わない工芸のことば

ぼくブログで、何気なく使ってしまっていましたが、
案外普段使わない言葉なので、
少し簡単な説明をしていって見ることにしました。

何となく想像はついても、はっきりわからないとか、
日常では使わないので初めて目にした方や、
読み方もどんな物かもわからないって言う方や、
すでにご存じの方も、改めて眺めで頂ければと思います。

『釉薬』 (ゆうやく)、あるいは(うわぐすり)とよみます。
     やきものの表面にあるガラス質の層をそう呼びます。
     木の灰や石の粉などの鉱物を調合して作ります。
     色を付けるのに、酸化金属などを入れることもあります。
     水に溶かして、どろどろにしたものを、素焼き(すやき)
     したものに、浸けたりかけたりしてつけます。
ぼくブログで、何気なく使ってしまっていましたが、
案外普段使わない言葉なので、
少し簡単な説明をしていって見ることにしました。

何となく想像はついても、はっきりわからないとか、
日常では使わないので初めて目にした方や、
読み方もどんな物かもわからないって言う方や、
すでにご存じの方も、改めて眺めで頂ければと思います。

『釉薬』 (ゆうやく)、あるいは(うわぐすり)とよみます。
     やきものの表面にあるガラス質の層をそう呼びます。
     木の灰や石の粉などの鉱物を調合して作ります。
     色を付けるのに、酸化金属などを入れることもあります。
     水に溶かして、どろどろにしたものを、素焼き(すやき)
     したものに、浸けたりかけたりしてつけます。


『灰釉』 (はいゆう)本来は(かいゆう)と読むのですが、
     いまはほとんど(はいゆう)と呼ばれています。
     薪でたいていた窯の中で自然にやきものに灰が降りかかり、
     それが高温の炎で溶けて釉薬になった自然釉ができました。
     その再現で灰を振りかけたり、
     水に溶いてかけたのが始まりでしょう。
     その後、安定のために調合された釉薬となり、
     色やいや種類も増えていったと思います。

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鶴見宗次 灰釉手ひねり8寸皿



『白磁』 (はくじ)代表的な磁器の一つです。
     その名の通り、白いやきものです。
     白い素地に、透明な釉薬(うわぐすり)がかけられた物。

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稲垣明子 白磁コーヒーカップソーサー



『青磁』 (せいじ)これも磁器の代名詞なくらいです。
     青や緑っぽい青のやきものです。
     青は時代や産地や作り手により、それそれですが、
     釉薬のなかに、少し鉄分が入ることで青く発色しています。

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松本敬一郎 葡萄文刻青磁皿



『染付』 (そめつけ)古伊万里などが代表的です。
     釉薬をかけるまえに、酸化コバルトが主成分の、
     呉須(ごす)というものを絵の具にして絵を描きます。

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林京子 染め付け小皿・そば猪口



『赤絵』 (あかえ) 表面に赤い絵が描かれたやきものです。
     本焼きという、焼けた状態の焼き物に、
     ベンガラという、酸化鉄を絵の具に描いて、
     もう一度、800度という、少し低い温度で焼き付けます。
     上絵と言われる物の内の一つです。

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藤田佳三 赤絵マルチカップ



『粉引き』(こひき、こびき)素地の上、釉薬の下に、
     白い化粧土をかけられた、焼き物。
     使うことで、変化するのを、楽しめるやきものです。

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光藤佐 粉引きボウル



『刷毛目』(はけめ)粉引きは全面に白化粧されますが、
     刷毛目は刷毛で引かれた白化粧土の勢いが見所です。
     粉引きなどと同じに朝鮮半島から伝わったやきものです。

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藤田佳三 刷毛目8寸皿




『伊羅保』(いらぼ)表面にざらざらした釉薬がかかり、そのタッチから、
     いらぼと名付けられたとも、言われています。
     使うほどに落ち着いた良い表情に変わる、やきものです。

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光藤佐 伊羅保碗


思いついたところを並べてみました。
少しずつ足して行く予定です。
ご質問など、どんどんお寄せ下さい。

                 閑庵

粉引 KOHIKI

粉引(こひき・こびき)という呼称は朝鮮半島より渡来した後に、
粉を引いたような肌になぞらえてつけられたとか。
(粉吹/こぶきともよばれた)
それはさておき5世紀後の今日、
和の器としてすっかり定着して大道にして基本といえるのは、
使うほどに侘び寂びの味わいが深まるからでしょう。
 その秘密は、名に由来する粉引の元である白い土を化粧掛けしているからです。
素地の上で釉薬の下にサンドウィッチされた白い化粧土の層が、
素地や釉薬より柔らかく、きめが粗いので湯水がしみ込みやすいのです。
そのため、使い込んでいただくほどに貫入(カンニュウ釉薬の微細なひび)や
雨漏手(雨漏りで出来たシミに見立てて呼ばれる)といわれる表情が出ることがあります。
ただ、これらの侘び寂びの変化はゆっくりと、永い年月とともにあらわれるものです。
それには使い方としてのやさしさも必要です。
茶道のお手前でもお茶を点てるはじめに碗に湯を注ぎ温めるとともに碗を湿らせ馴染ませます。
これは形式では無く、お茶を美味しく飲んでいただく為と、
碗を大切にする心が形になったひとつです。
目の前のお客様に温かく美味しいお茶を飲んでいただくだけでなく、
数年先、数十年先、あるいは数百年先のお客様に美味しくお茶を飲んでいただけるように心しているのです。
私たちが素直に見習う心構えが、茶道のなかには沢山あります。
 焼き上がったやきものは、1200~1300℃の炎の中にあったのですから、
ほとんど水分を含んでいない絶乾状態ですから、
いきなり油やお醤油などをいれると後々まで残るほどしみ込んでしまうことがあります。
それは臭いやカビの原因になることさえあります。
特に粉引は変化しやすいので、おろしたてのうちは使う前にはお湯か水をくぐらすことを心がけましょう。
これは、すべてのやきものにほしいやさしさですから習慣づけるようにして下さい。
たとえ磁器のようによごれにくいやきのもでも、湯せんすると、
コーヒーや紅茶のアクでも付きにくくなります。
それに、温かさや冷たさもごちそうですから、
温かな料理には器を温めて冷めにくくしたり、
きりりと冷えた器で冷たい料理や飲み物を盛り付けるおもてなしをしましょう。
 粉引は、素地の上に化粧の土と釉薬と言う工合に三層になっていて、
それぞれが違う素材のために、特に口の部分が堅い物の衝撃には弱いので注意しましょう。
箸の食文化の日本でこそ成り立ちますが、ナイフやフォークには不向きです。
洗って水切り籠に置く時にも、優しくして下さい。
最近はステンレスの水切り籠が多く、ほとんどが針金状の組み合わせです。
もし、ここにやきものの皿や碗を伏せて置く時に、すこしでも上から放すと、
皿や碗と、細くて丸いステンレス線の当たる所は点になってしまいます。
逆さにして考えてみれば、皿や碗の縁を、ナイフで垂直にたたくのと同じ位の衝撃なのです。
急ぐ時、忙しい時こそ、洗い籠にふきんやタオルを一枚敷かれると良いでしょう。
器は、使うことではじめて生きて来ます。
粉引に限らず陶器や大切なやきものの扱い方は、器への優しさが基本です。
難しく考えずに自然になれ親しんで、器に沢山の出番をあげて下さい。
使い込むほどに器が、どんどん色艶を増していくことでしょう

閑庵

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みんながマイボウルを持ってる

私たちが配膳をするときは、とりあえず家族それぞれのご飯茶碗、
お椀、箸がそれぞれの席に置かれます。
中でもご飯茶碗と箸は各人のものが決まっている家庭が、
多いのではないでしょうか。
私たちにとっては、あたりまえのこの風習は世界の中でも珍しいそうです。
 
箸を右手に、碗を左手に持ち、碗に口を付けてご飯や汁を口に運ぶ光景も、
同じ箸を使う国の中でも少ないようです。
これらの風習や、習慣が、私たちの器に対する知識や感性を訓練し、
嗜好を磨いて来たに違いありません。
幼いころから、成長に合わせた図柄や大きさを変えていくことは、
やきものや漆器を手で持つことで、
質感、重さ、手触り含めた掌(たなごころ)の善し悪しを覚え、
器に直接口を当てることで、器の触感、口作りに好みがでて来たりします。
同じ箸を使っていても、器を持たずに食べる習慣では、
なかなか出て来ない器への一歩入り込んだ好みや、器のチェックポイントが、
生まれてくるのは自然のことだと思います。
 
たとえば、器を持った瞬間に、「この器は重い」とか「軽いな」と、
感じられた経験をもたれたことがあると思います。
それは器を見たときに、すでにその器の重さを、
経験から頭で想像しているために起きるギャップです。
ちなみに、中身がこれから入る器ですから、
普通思ったより軽いぐらいの器が良いとされています。
 
また、やきものが並んでいれば、陶器、せっ器、磁器と、
素地が緻密になって堅くなることや、
それぞれをはじいたときの音が段々高くなっていくのが、
難しいこと抜きで、種類や名前がわからなくても、
感覚的にわかるのも、毎日やきものを使うなかで、
自然と体感して来たものです。
 
陶器やせっ器のざっくりした土肌が好きとか、
磁器のように滑らかな肌合いが良いとかも、
使ってゆくなかで自分の好みも、決まってくるものです。
 
そのほかにも、個人個人のやきものや漆器への、
審美眼、感性、判断基準といった、見極める為の物差しの目盛りが、
毎日の暮らしで使うことで、刻まれて行くようです。
 
 
碗や椀に当たる英語はボウル(bowl)です。
不思議なことに古語で椀のことを、「まり」と言います。
発音を直訳すれば、ボウル(bowl)です。
英語でも日本語でも、
まるいものを意味するところから来ているのかもしれませんね。
私たちほとんどみんなが、自分の碗を持っています。
これってマイボウルですね。

 まり【(鋺-(椀】(円形の意の「まろ」と関係あるか)水や酒などを盛る器。
〔新潮国語辞典〕

 bowl1名 ボール、鉢、椀  
 bowl2名 (ボウリングの)球、(ボウルズの)木球。

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荒川尚也 泡ボウル

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藤田佳三 赤絵飯碗

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稲垣明子 練り込み結晶釉ボウル

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前川俊一 パラジウム彩ボウル

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巳亦敬一 新スキそば猪口丸

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野波実 白磁マット小碗

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小野寺友子 灰釉大碗

閑庵

たなごころが良い <好い“うつわ”の条件>3

言葉の中に文化を見いだすことがありますよね。
ばくが、掌(たなごころ)という言葉も、合掌の掌という文字であり、
てのひらを意味することは知っていたのですが、
てのひらに納めたときの心地を表して、
「たのごころの良い器」などと、使うのは、
大学生になってから、やきものに魅せられてから知りました。
それはぼくが理系へ進む勉強をしていて、漢字の読み書きや、
言葉の深さをないがしろにしていたからでしょう。
ぼくにとって日本文化の深さを強く感じ始めた頃でもありました。

好い“うつわ”は、心地の良いたなごころを感じます。
ぼくが目安にしているいくつかの、良い掌の判断ポイントをお知らせしましょう。

1.心地の良い重さ
見かけより少し軽いぐらいが良いと思っています。これは、必ずしも重い軽いではなく、もった時に違和感がない方がいいですね。人は誰でも、持ち上げる前に、見たときにそれなりの重さを無意識ながらも想像しています。その想定した重さより重いと、下手な作りに感じますし、軽過ぎても軽薄な感じをもちます。“うつわ”に関して少し軽い方がいいのは、料理や飲み物が入る分、器の重さを軽めにしておく方が、使いやすいからです。もちろん、パワーあふれて力があり余っている方はこの限りではありません。


2.心地の良い質感
“うつわ”はやきもの、ガラス、漆器など、材質の違いで、ざっくりしていたり、つるんとしていたり、
しっとりしていたり、素材感というか、さわり心地がそれそれに違います。ところが、それぞれ違っていても、同じざっくりなりでも、好ましい物と違和感がある物が、人によってあると思います。これは好みで良いと思います。自分の好みの質感で選択することは、自分好みの器として可愛がるのが、大切な選択です。

3.心地の良い収まり具合
器の形や重さや質感の違いを超えて、手に持った収まりの善し悪しは、器の出来の善し悪しもさることながら、相性もあります。そのため、必ず自分の手に収めて器を選びましょう。良い器を良の掌に納めて、心静かに耳をすませば器の語りが聞こえて来るに違いありません。と、ぼくは思っております。是非お試しを。いずれにして、掌に包み込んだときに「なんだか好い感じ!」っていう器が、自分のとって良い器です。

掌からたくさんの器の情報が得られます。はじめからわかるものもあれば、時間と共に伝わって来る情報もあります。それは工芸店で選ぶときでも同じです。なるべく時間をかけること。両手を開けて、両掌でゆったりと、しっかりと器をもつのは、手仕事から生まれた作品を扱うマナーです。もしかして自分のところにお嫁(お婿かな)に来る作品からのメッセージをしっかりくみ取るために是非心がけてみましょう。
**こうしてお持ちになれば、きっと工芸店のオナーたちからは、「好いお客様」と認知されるはずですよ。ぜひ心がけで下さい。**
         閑庵

今回の画像は、手に持って口に触れる碗、椀を選びました。
陶器、磁器、せっ器、漆器、吹きガラスと並べてみました。
掌を想像しながらご覧ください。

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藤田佳三 三島飯碗

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村木律夫 銀彩飯碗

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天野雅夫 イズブルー飯碗

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稲垣明子 練り込み結晶釉ボウル

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松室裕重 漆絵大椀

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光藤佐 安南手飯碗

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小野寺友子 刷毛目粉引き飯碗

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武田千秋 線象眼飯碗

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鶴見宗次 手ひねり灰釉碗

梱包は格闘技!!新聞紙VS頑固店主

いつも暇なぼくの店ですが、
おとといは土曜なの嵐のような天気もあってか、
まぁー、さらに静かで・・・・・。
そんなだと、ついついテンションが下がり、
そんなときにすませばいい、雑務が山のようにたまっているのに、
結局何もしないことになってしまいます。
昨日の日曜もそんな暇なまま、だらだら過ごしてはいけないと、
朝から、地方でお世話している企画展の発送。
がんばりました。

ところが店の中に店を広げて、古新聞紙を取り散らかしていると・・・・。
不思議とお客さまが・・・・。
どうにか詰め込み発送伝票書いたところで、
おなかがすいてふらふら。
一息ついてランチでもと、時計を見れば2時。ふぅー。

さて、さて、ところがこんなときには、
サンドイッチを一口かじると、
のれんの向こうに人の気配。
「もぐもぐ・・・いらっしゃいませ・・・もぐもぐ」と、
一組のトーストサンドイッチを、
3分割して食べました。
ははは。
これが“うつわ屋”のオヤヂの日常です。

そんなことはさておいて、
今日は梱包は格闘技というお話し。
今は宅配便がとても発達したために、
日本中の作り手たちから、翌日か中一日で、
梱包した作品が届きます。
この宅配便ほぼ確実に安全と思えるくらいに、
案外壊れません。
でも、それには、作り手や、ぼくらに、
それなりの工夫や経験でそれぞれに構築されています。
そう、梱包方法が皆個性あるんです。
それでも、使う梱包材料の基本はありますね。
まず一つは、段ボール箱に箱詰めしてくることです。
そして、もう一つはガラスややきものを包む梱包材です。
それは、紙です。
普通主に使われるのは、新聞紙です。
それは壊れにくく梱包するのに適当だからです。
今時のエアパッキンや発泡シートが、一見安全そうですが、
過信すると結構痛い目に遭います。
やはり作品を包むのは新聞紙が手軽に入手できて、
大きさもあり、何しろ再生するのに集めるぐらいで、
それなりの上質なパルプなのでしょう。

ここで簡単に“うつわ屋”の梱包テクニックを、
ご披露したしましょ。
まず、“うつわ”を新聞で角を作るように、
何重かに重ねて包むのが一番。
ただ、手も“うつわ”も黒くなっちゃうのだけが×です。
包んだ“うつわ”と“うつわ”の間にもひねった新聞紙。
そうそう、はじめに段ポールのそこに、
新聞紙を丸めながら、しっかり敷き詰めるのが、
基本中の基本。
乱暴においてしまったり、間違って落としても、
箱のそこからの衝撃が一番おきやすいので、
それには一番良い方法ですね。

ゆとりがあれば、“うつわ”と“うつわ”に、
カットして段ボールでしきり、
“うつわ”の上にまた“うつわ”を積み込みのなら、
適当に新聞を入れてその上に段ボールを敷き込んでから、
また“うつわ”を並べていくのが、常套手段です。

ちなみに、きっちり梱包して来てくれた作り手からの荷をほどき、
作品をすべて包んでいた新聞紙から解いて、検品して。
さぁー、詰めてあった新聞紙や、包んで合った新聞を、
詰めてあった箱に戻そうとすると・・・。
口切り一杯だったり、かなり強引にしないと、
つまらないほどに、新聞紙が使われています。
梱包するのも、解くのも、
というわけで、新聞紙との格闘になります。

もしも、お引っ越しで、大切な“うつわ”を包むなら、
紙が一番、まぁー何度も登場しましたが、
新聞紙が身近では一番の梱包材料です。
ぼくは、新聞紙をお勧めいます。
汚れたくないものは、いったん無地の紙に包んでから、
新聞紙で包めば、黒くなりません。
格闘するつもりぐらいに、

厚めの新聞紙でつつみ、
新聞紙を丸めてクッション材にして詰める。
これが“うつわ屋”の梱包テクニックです。
                 閑庵

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籠の編み方の呼び名の由来

ぼくはよく、“うつわ”や作品の名前や呼ばれかたのなかから、
想像や連想を膨らませては、楽しんでいます。
これあたりはかなりマニアックな・・・・オタクとは違うのかもしれませんが、
いまや、うつわ屋の頑固オヤヂの方が、
電車男さんたちのオタクさまたちより、すっとマイナーですから。
マイナー指向の方、“うつわ屋”もよろしく!

いまは、目の前に山になっている籠を見て、
様々な編み方の名前のおもしろさから、
そんなことを考えていました。
伝統的な編み方もあれば、その地域の呼び方だったり、
編み手が名付けたものもあるでしょう。

名前を付けるとき、何かを連想してつけたのか、
あるいはデザインするときの発想からつけたのと思える、
明らかに形からの名付けたのではないかと思うものに、
こんな編み方があります。

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この編み方を納めてくださる工房では、
「畝編み」とリストにあります。
あまり使わない言葉になっているかもしれませんね。
というか、街に住んでいればあまり見かける機会もなくなりました。
そのチャンスがあっても、ビニールに覆われた畑では・・・・。
「うねあみ」と読みます。
畝は、辞書によると、
物を植えるため、幾筋も土を盛りあげた所。また、それに似た形のもの。
[株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版]
とあります。
東京育ちのぼくが、子供の頃に遠出して、大きな畑に実に丁寧な畝が続く景色に、
お百姓さんの心意気を感じてだったのでしょう。
子供ながら心地の良かったことを覚えています。
春先だったのか、まだ何も植え付けていない、豊かで濃い色の土が、
ふわふわに盛り上がり、規則的に続く様は美しい日本の情景でした。

少し、リストにある編み方と画像を並べて見ましょう。
畑の畝作りのように、編み手の丁寧さから、心意気をくみ取ってもらいながら、
皆さんも、おもいおもいの連想や想像をしてみてください。

仲々編み。
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こだし編み。
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元禄編み。
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グニ編み。
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ホラ編み。
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小松編み。
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あじろ編み。
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乱れ編み。
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織り編み。
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並編み。
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変わりたすき掛け編み。
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ざっと上げてもこんなにあります。
編み方を組み合わせとたり、形や縁や取っ手で、
限りなく形は生み出されて行くようですね。
でも、年老いていく作り手が多いからこそ。
多く方が使ってくれてこそ、作り手には励みになり、
次への創作エネルギーになり、
そんななかから、新しい編み方も生まれるかもしれません。

     
                        甘庵

文化祭と学園祭が交互のやって来る

2週毎の企画展模様替えは、毎回のことでなれているとはいえ、
半世紀以上いきていると、年々労働としてはなかなかハードに。
たとえとしてよく「文化祭と学園祭が交互に来続ける感じです」と、
お話ししますが、重いものや、軽いもの、壊れもの、
それぞれに飾り付けが違いながらも、開けるときはわくわく。
並べだすと、なるべく作り手の意図をくみながらも、
お嫁に行きやすいように、ぼくなりのレイアウトの工夫を。

仕事はまだあります。HPの更新。
さらに、顧客さまへのお知らせメール。
「開催中の催し物会場の画像」というページがあって、
メールで、新しい企画展の会場画像が、
更新出来たことをお知らせするようになっています。

皆様からの要望が嬉しくて、
労働過剰ながらも、画像が増えていきます。
今回も50カットアップ。
さらに、名称価格にくわえて、主な物にはサイズも。
まぁー“うつわ”や工芸品が大好きなので、
何とか出来る作業です。
少しでも多く情報をお伝えしたいと、
がんばってはおります。
興味がある方は、HPからか、メールでお申し出ください。

http://www.netlaputa.ne.jp/%7Eginka/
ginka@netlaputa.ne.jp

といいながら、出来上がって来た次の企画展「角掛政志作陶展」DMの宛名書きや、
さらに次の「荒川尚也宙吹きガラス展」のDM作成もすすめて・・・。

やはり「文化祭と学園祭が交互のやって来る感じ」です。
今は、籠屋の閑庵 です。


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籠の魅力

使い込むとしっとりと柔らかくなり葡萄色が見えてくるような山葡萄の籠。
編み目が綺麗で、丈夫で飽きのこないアケビの籠。
水にも強く、丈夫で軽く、飴色に変わっていく美しさをもった根曲がり竹の籠。
薄く剥いで、テープ状にする技と丁寧な編み方のクルミの籠。
買い物籠、バスケット、手提げ籠、ポシェット、ざる、乱れ籠などなど。

普段は“うつわ屋”の荻窪銀花が6月2日から14日まで籠屋になります。
今年は山葡萄、アケビ、根曲がり竹、クルミなどので編んだ、
買い物籠などの、手に持つ籠を中心に、
こんなにもいろいろな形や編み方が出来るかと思えるほど、
いろいろな表情の籠が集まりました。

私たちの先人たちは、暮らしの中で培った技と知恵で、蔓や植物の表皮や幹などすべて自然界の恵みを、適材適所の使いかたで、様々な籠つくってきました。
それらは暮らしを反映した使われ方で、活かされてきました。
そのために、まず丈夫であること、使いやすいことが基本でした。
それでもプラスティックやステンレスのような、普遍性はありません。
その分、暖かみのある表情や、使い込んだときに変わっていく様を楽しめます。
使われ方も暮らしが違ってきても、人の営みの基本は同じですから、籠好きに皆さんは、はっとする使い方までなさって下さいます。

また、素材の持つ質感の高さがファンションとして認められてきて、和の文化が育てたクオリティの高さからも、買い物籠はもうほとんど街で持つ夏のバッグとして、高い人気を集めています。
元々は欧米向けへのバスケットとして導入され、手仕事の確かさで作られて、
一時期は、欧米への人気ある輸出品だったそうです。
今また、本来のバスケットに戻って使われていることになりますね。

                 甘庵

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“うつわ”で夏を楽しむ方法

【四季が文化を創った】

私たちにはあたりまえの四季。
でもこんなにはっきりとした季節風土を持つ国は、
実は少ないほうだそうです。。
夏の亜熱帯並みの蒸し暑さと、冬の厳しさとの落差が大きいのです。

世界中どこでも、風土から文化は生まれ育まれるのでしょうが、
こんなにはっきりとして四季だったからこそ、
私たちの文化が生まれて来たのかもしれません。

今のようにクーラーや優れた暖房もなかったわけですから、
夏の蒸し暑さも、冬の底冷えも厳しかったとおもうんです。
だからこそ、四季の変化厳しさと考えずに、暮らしの中で工夫をしたり、
四季折々の生活習慣として楽しんでしまう。
そんな暮らしの知恵を持ち合わせていたようですよ。

【夏を器で涼しくする工夫】

じめじめした梅雨。
蒸し暑い夏。
四季の中でも特に厳しいのが夏だったかもしれませんね。

ガラスの時にも書かせてもらいましたが、
水や氷をイメージ出来るガラスの器に、夏季の季節感をあてはめて、
見ためや、材質感から、涼を呼び込もうとする。
知恵なのでしょね。

ガラス以外でも、お約束の夏の器がありますよ。
焼きしめの器に水を打ったり、水につけて、
清涼感をイメージさせたり、
同じように黒い漆器に露をうったり。
清涼感のある青磁、青白磁(せいはくじ)、染付け(そめつけ)。
といった、磁器を効果的に使ったり。
  
形も口が広く浅いものが、深いものより夏向きでしょう。
そんな鉢に、水をはり一枝の緑を添えるだけでも、
涼しさは演出できます。

木地のままの器も水になじみ、
清涼感をイメージしやすですね。
ヒノキやさわらの桶や曲げわっぱ。
青竹、アケビ籠、竹篭などの籠類。
麻織物、藍染めの布。

絵柄にも夏の季節感を盛り込むことで、
直接的な涼しさをイメージするわけではないのですが、
夏を楽しみ、めでることで、取り込む、
暑気ばらいの心意気かもしれませんね。
昔からの図柄なら、水にかかわるもの・・・。
でもいまどき水車っていてもんねー。
見たことないもので、涼感をイメージできませんよね。
ごく普通に自分でイメージできる図柄なら、何でもいいんですよ。
水玉でも沢ガニでもヨットでもね。
簡単なのは季節の花。これは好きなもので良いですものね。

 【夏を涼しくするレイアウト】

レイアウトも盛り付けも、少しゆったり。
テーブルの上の器の数を減らして、軽やかなコーディネイトを、
心がけましょう。
盛り付けは大きめ器に、ゆったりと中高に盛り付けましょう。
(なかだか:うつわの中央に盛り上げるように盛ること)
器のふちや隙間を空間を楽しむように、
ゆったりと盛り付けてみてください。

うん、出来れば周りの調度品もゆったりと。。。。
これ、なかなか難しいのか現状ですが、
それぞれの状況に合わせるにしても、心がけたいことです。

 【明るすぎないように】

あと、明るさも、少しだけ控えて見てください。
それだけで、部屋に奥行きが出てきたり、
うっと惜しさが軽減されることもありますよ。

たとえば、明るい南向きのテラスと軒深い茅葺の民家。
夏の午後2時、どちらのほうが汗が引きそうですか?
そんなイメージや想像を楽しみ積極的に、
配慮していって一部を形式化したりお約束にしていったのが、
ぼくらの先人たちの、酷暑を過ごす知恵だったのでしょうね。

他にも人それぞれの素材や色への、涼感をイメージするものが、
あると思います。テーブルコーディネイトやうつ選び、
あるいはインテリアまで、自分なりの夏を取り入れてください。
食卓の器選びで、涼感を楽しめて、
食べ物と一緒に、夏の旬を味わうことができます。

籠、風鈴、蚊取り線香、すだれ、浴衣、うちわなどなど。
夏の小道具も、クーラーとは違った涼感を呼び込んでくれます。

地球環境を一人一人が見つめないといけない時代。
エアコンの目盛りを1度上げる時に、
心の目盛りを一度さげるためにも、
きっと、有効な方法になると思いますよ。
             閑庵

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“うつわ”で夏を楽しむ方法

【四季が文化を創った】

私たちにはあたりまえの四季。
でもこんなにはっきりとした季節風土を持つ国は、
実は少ないほうだそうです。。
夏の亜熱帯並みの蒸し暑さと、冬の厳しさとの落差が大きいのです。

世界中どこでも、風土から文化は生まれ育まれるのでしょうが、
こんなにはっきりとして四季だったからこそ、
私たちの文化が生まれて来たのかもしれません。

今のようにクーラーや優れた暖房もなかったわけですから、
夏の蒸し暑さも、冬の底冷えも厳しかったとおもうんです。
だからこそ、四季の変化厳しさと考えずに、暮らしの中で工夫をしたり、
四季折々の生活習慣として楽しんでしまう。
そんな暮らしの知恵を持ち合わせていたようですよ。

【夏を器で涼しくする工夫】

じめじめした梅雨。
蒸し暑い夏。
四季の中でも特に厳しいのが夏だったかもしれませんね。

ガラスの時にも書かせてもらいましたが、
水や氷をイメージ出来るガラスの器に、夏季の季節感をあてはめて、
見ためや、材質感から、涼を呼び込もうとする。
知恵なのでしょね。

ガラス以外でも、お約束の夏の器がありますよ。
焼きしめの器に水を打ったり、水につけて、
清涼感をイメージさせたり、
同じように黒い漆器に露をうったり。
清涼感のある青磁、青白磁(せいはくじ)、染付け(そめつけ)。
といった、磁器を効果的に使ったり。
  
形も口が広く浅いものが、深いものより夏向きでしょう。
そんな鉢に、水をはり一枝の緑を添えるだけでも、
涼しさは演出できます。

木地のままの器も水になじみ、
清涼感をイメージしやすですね。
ヒノキやさわらの桶や曲げわっぱ。
青竹、アケビ籠、竹篭などの籠類。
麻織物、藍染めの布。

絵柄にも夏の季節感を盛り込むことで、
直接的な涼しさをイメージするわけではないのですが、
夏を楽しみ、めでることで、取り込む、
暑気ばらいの心意気かもしれませんね。
昔からの図柄なら、水にかかわるもの・・・。
でもいまどき水車っていてもんねー。
見たことないもので、涼感をイメージできませんよね。
ごく普通に自分でイメージできる図柄なら、何でもいいんですよ。
水玉でも沢ガニでもヨットでもね。
簡単なのは季節の花。これは好きなもので良いですものね。

 【夏を涼しくするレイアウト】

レイアウトも盛り付けも、少しゆったり。
テーブルの上の器の数を減らして、軽やかなコーディネイトを、
心がけましょう。
盛り付けは大きめ器に、ゆったりと中高に盛り付けましょう。
(なかだか:うつわの中央に盛り上げるように盛ること)
器のふちや隙間を空間を楽しむように、
ゆったりと盛り付けてみてください。

うん、出来れば周りの調度品もゆったりと。。。。
これ、なかなか難しいのか現状ですが、
それぞれの状況に合わせるにしても、心がけたいことです。

 【明るすぎないように】

あと、明るさも、少しだけ控えて見てください。
それだけで、部屋に奥行きが出てきたり、
うっと惜しさが軽減されることもありますよ。

たとえば、明るい南向きのテラスと軒深い茅葺の民家。
夏の午後2時、どちらのほうが汗が引きそうですか?
そんなイメージや想像を楽しみ積極的に、
配慮していって一部を形式化したりお約束にしていったのが、
ぼくらの先人たちの、酷暑を過ごす知恵だったのでしょうね。

他にも人それぞれの素材や色への、涼感をイメージするものが、
あると思います。テーブルコーディネイトやうつ選び、
あるいはインテリアまで、自分なりの夏を取り入れてください。
食卓の器選びで、涼感を楽しめて、
食べ物と一緒に、夏の旬を味わうことができます。

籠、風鈴、蚊取り線香、すだれ、浴衣、うちわなどなど。
夏の小道具も、クーラーとは違った涼感を呼び込んでくれます。

地球環境を一人一人が見つめないといけない時代。
エアコンの目盛りを1度上げる時に、
心の目盛りを一度さげるためにも、
きっと、有効な方法になると思いますよ。
             閑庵

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