手で作られたものは、
少なからず限定品です。
“うつわ”によって一つしかありません。
仕事の手法や目指す方向が、
均一に作くるシステムの“うつわ”もあります。
定番のグラスや磁器染め付けや椀などに、
ほぼ同じに見えるように作り続けている“うつわ”もあります。
(実は細かいマイナーチェンジが繰り返されていることが多い)
それでも、手仕事だからこその、
画一的でない揺らぎがあります。
そこが魅力と思って頂けると、
手仕事の“うつわ”をより楽しんでいただけます。
また、一人の仕事には限りがあるので、
自然と作られる数には限度があります。
材料や作り方から、
同じ物が出来ない“うつわ”も多くあります。
土物で原土を使ったり、窯の調子で、焼き上がりが変わったり、
絵の具のように調合した、色ガラスの微妙な色合いが違ったり、
縁があった原木から出来た、木目やゆがみだったりと、
一つずつ作られ、一つずつの縁で出来上がったものは、
個性的でやんちゃな表情だったりしても、
使い手との出会いという縁があったときに、
使い手の暮らしの中で、本当に生きてきます。
作り手が同じ物を作ろうとすれば、
自分の仕事ゆえ、似たものは出来るでしょう。
でも、似たものを作ろうとするためにエネルギーに費やされた分、
手慣れて、まとまった物はできても、
もともと一つであること由として作られた、
はじけたエネルギーは、そうそう、生み出すことはできません。
現品限りとは書きましたが、
いくつかあって、残りがこれだけという現品限りではなく、
元々それだけ、それ一つだけの“うつわ”は、
ちょうど、ぼくら一人一人の顔つきや個性と同じに、
大きくくくれば、人であり、男だったり女だったり・・・。
でも、なにがし某と、姓名のある一個人なのとおなじです。
それがグラスだったり、椀だったり、花器だったりしても、
それぞれが一つだけのグラスで、椀で、花器です。
だからこそ、“うつわ”は出会いの縁だと思います。
縁がなければ、そのものには二度と出会えないものです。
一度逃したと思ってもそれは縁がなかったため。
もっとぴったりくるものと縁があり、
手元に来るものだと思っています。
手で作られたものは、
限定品や現品限りです。
だからこそ、楽しみながら、お見合い気分で、
品定めと、出会いの縁を大切にしましょう。
ただし、縁は自分で作らないと、
いつまでも、出会いも縁はありません。
“うつわ屋”のぼくは、
橋渡し、あるいは仲人としてのお世話を、
口うるさく続けることにしましょう。
閑庵





