昨日画像処理まで終わった、メンバー用のHPの仕上げを、
お客様の合間に進めて何とか完成。
メンバーにメルマガで知らせてほっとしたら、3時過ぎ。
改めて、作品を楽しみながら眺めています。

荷ほどきの時に、新しい作品をみて、
「なるほどー」「面白い」「こんな物もつくったんだー」などと、
新鮮さを感じていたのですが、
もうすでに、オシャレな“うつわ”も、オブジェのような花器も、
安心感のある、心になじむ作品になってしまっています。

それは、ぼく個人の荒川さんの作品が好みだと言うこともあるにせよ、
加えて、荒川さんの作り出す手順や制作過程のなかで、
何度もご自身の中でも葛藤や批判や判断や評価を、
かなり厳しく繰り替えしていて、
そんな結果は、新しい作品でも、すでに荒川さん個人の中で、
かなり消化されているのだと思う。

たとえば、縁を熱いうちに、水につけてひび割れさせ、
また焼くことで溶かして、角の丸みをつけひびをつなぎ、
使用に差し障りのないようにした花器や鉢は、
光を受けると、縁がシャンデリアのように煌めきます。
造形の美しさと、動きと、ガラスゆえの儚さ、
硬質感、透明感などを、理解して演出し素材感を十分に発揮しています。
これなども、ある意味ではわざとヒビを入れた器。
でも、“うつわ”として使う事へも、安心感があり、
また、料理や、お菓子や、花が生える、
納得いく“うつわ”です。

どの“うつわ”をとっても、
感じ方や使い方やアイテムの違いにかかわらず、
ぼくに感じる、心地よさは、もしかしたら、
懐かしさに似ているかもしれません。
工芸屋を初めてからずっとそばにあった、
ガラスの“うつわ”であり、ガラスの“うつわ”の物差しになっていたのですから、
そうなっても不思議はないのかもしれません。

閑庵
